『蜜蜂と遠雷』(あとがき・若干のネタバレ有)
まだ書くんかい!!!
どうも混沌です。
『蜜蜂と遠雷』だけで記事三つ目です。笑
だって後から書きたくなってきたんだもん(上目使いで)!
さて、皆さん今日は何を書いていくのかというと、『蜜蜂と遠雷』というタイトルの話です。
ちなみに僕はずっと『蜂蜜と遠雷』だと思い込み、前の記事のタイトルとか全部そうなってました。笑
気づいてからしれっと直したけど。
そんなタイトルですが意味わからなくないすか?
蜜蜂?遠雷?
一見接点のなさそうな二つの単語ですが、ストーリーになぞらえて考えると少し意味がわかるような気がします。
今日はタイトル深読み考察じゃーい!
あ、若干ネタバレっぽい箇所があるので、情報を入れずに見たい人は、見終わってから読んでね。
「蜜蜂」とは
ちょっと「蜂蜜(はちみつ)」の話していいですか(お、まさかの伏線回収か?)?
働き蜂が花蜜を集めて巣に持ち帰り、それが熟成・濃縮されて蜂蜜となります。
そして、恩田陸さんの原作小説には、蜜蜂を音符に例える箇所があります。
明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符であること。
そして、世界とは、いつもなんという市場の音楽に満たされて居たことだろう。
皆さんが以前書いた二つの記事を読んだ体で話すと、僕はこの話のテーマが「外に目を向けること」であると述べました。
蜜蜂(音符)は外の世界の存在がないと蜂蜜(音楽)を作ることができません。
蜜蜂が外の世界に花蜜を集めに行き、それが熟成されて蜂蜜となるのと同じように、音楽家は外の世界に刺激を受け良い音楽を作りあげるのだと解釈しました。
無理矢理か?笑
「遠雷」とは
遠雷についてはですね、映画で雷が鳴るシーンが出てきますよね。海辺のシーンです。
で、そのシーンで塵君が言う訳ですよ。
「世界が鳴ってる」
遠くで鳴る雷なんて、意識してないと気がつきません。
むしろ生活の中で鳴っている音なんて、ほとんどの場合、無意識に放置してしまっています。
ここでは、純粋に音楽を楽しむ塵君だけが遠雷の音に気がつく訳です。
つまり、外の世界に目を向けることのできる唯一の人物なんですな。
英伝さんはその塵君に引っ張られて、外の世界を意識するようになっていきます。
それがあのラストシーンへと繋がっていくのです。
最後に
終わり方、急か!というツッコミは箪笥に閉まって二度と出さないでください。笑
まあ記事にして書く程でもないんですけど、タイトルの意味を考えていてなんとなく自分の中でしっくりくる答えを見つけたので書いてみました。
タイトル考察、またやっていきたいと思います。
次回の記事は「鑑賞方法」について書いていきたいと思います!