『蜜蜂と遠雷』から見る「頑張る」ということ(後編)
どうも混沌です!
昨日の記事、見終わった勢いでそのまま書いたら今までの最高観覧者だったという。(汗)
いやあ、汗ですわあ。汗の極み30代男性ですわあ(ゲ○の極み乙女のオマージュな)。
でも素直に嬉しいです。もっとちゃんと書けるように頑張ります。
よし、じゃあ『蜜蜂と遠雷』後編いってみよー!
音楽
昨日の記事でキャストが素晴らしいことには触れたけど、作中で使われる音楽も素晴らしい。
クラシックは普段聞かないけれど、誰がどう聞いても上手いと評価できる選曲であるし、僕はこの映画をパソコンでイヤホンを使って見たのだけれど、これがまた良かった。
たぶんシーンによって音や楽器のバランスを変えていたりするので、その点イヤホンは一つひとつの音が鮮明に聞こえてすごく良かった。
「日常は音楽で溢れている」
作中で何度か出てくる言葉であるが、その言葉通り、この作品では外で鳴っている音が強調されたり(雨の音とか)、登場人物たちが音楽で外の風景を表現しようとするシーンがある。
僕が考える映画における音楽の使い方とは、登場人物の内面やそのシーンの雰囲気を表現するときに用いられるものだと認識していたけれど、今回の場合は逆に風景を音楽で表現するという形だったので、「なるほど、芸術ってそういうものか、芸術家ってそういうことができるのか」と改めて芸術について考える機会となりました(言ってることがなんかよくわかりませんが、風景を見てムードを出すために音楽が用いられるを自然と思いこんでいたのが、音楽によって風景自体を描くこともできるのだと改めて気がついたという意味です)。
この月を見ながらの演奏シーンなんて最高よね。
風景と音楽を一つにしようとするシーンなのかな。
『蜜蜂と遠雷』から見る「頑張る」ということ
はいきた。意味わからないすよね。
まあ独自解釈みたいなものです。
この映画は音楽について、音楽家についての話なのですが、「何かを頑張る」ということの話として解釈することもできます。
「頑張る」という経験、皆さんにもあると思います。
僕もブログを毎日更新しようと頑張っています(全然できてないけど)。
「頑張る」ことの難しい部分は、頑張れば頑張るほど自分を見失っていくところにあると思います。
「楽しいから」という単純な理由で始めたことも、頑張れば頑張るほど、真剣になればなるほど、自分が設定したルールやその過程で構築されていった環境などにがんじがらめになって身動き取れない、みたいな。
あれ?全然楽しくないけど?みたいな。
余裕でありますよね、こんなこと。
この映画を見たらね、そんな時どうすればいいかがわかるんですよ。
それが「外に目を向けること」なんだと思います。
自分ルールや自分で作り出した環境から脱出するには、外に目を向けるしかないんですよ。
様々なものにがんじがらめになった主人公は外に目を向けること(他の三人との出会いや風景に目を向けること)で音楽に対する根本の部分を思い出しました。
このことがテーマとしてあるから、先に記した音楽の表現とかがあるのかな(深読み探偵)とも思います。
はい、こんな風に考えると音楽を描いてはいるけれど、めっちゃ普遍的な話に感じません?
僕は結構刺さりました。
そんな『蜜蜂と遠雷』。
僕の記事を見てもどんな映画なのか何もわからないと思います。笑
ただ、勢いだけでこれだけ書けてしまう、そのくらい魅力に溢れた作品なのです(ちょっとくらい調べろ)。
何かに頑張っている人やこれから頑張ろうとしている人に是非みていただきたい一本です。
P.S.
デイミアン・チャゼル監督『セッション』のオマージュかな?と思うところが何箇所かあったのですが、これ思ったの僕だけですかね?